KawasakiマッハⅢとZ2にまつわる思い出

近所に二学年下の友達がいた。彼がバイクに乗るようになり、一緒にツーリングに行ったりする仲になった。裕福な家庭に育つ彼は、人気車種を乗り継ぐ羨ましい身分だった。

彼は国内最速といわれたKawasakliマッハSS500Ⅲに乗っていた。この車両は2サイクル3気筒のジャジャ馬バイクで、100㎞/h到着まで4秒を切る殺人的な加速をした。そのくせブレーキは利かない、フロント荷重が少ない、操安性も悪い・・・など、事故率の高さでも有名だった。当時のタイヤではマッハⅢのパワーに追いつけず、トレッドが剥がれてしまうトラブルが続発したため、マッハⅢ用にDUNLOPが専用タイヤを開発したほどだ。

さらにこのバイクは、バイク初のセミトランジスター点火であった。それまでの機械式ポイント点火から画期的な無接点点火になったのだが、メインスイッチをONにしたまま30秒そのままにしているとトランジスターがパンクするという致命的な弱みを持っていた。「ONにしたら30秒以内にエンジンを始動してください」なんていう説明を納車時にされたら、さぞかし動揺しただろう。

こんなバイクを買ってしまった友達も、マッハのトラブルの多さに泣かされていた。しばらくすると、マッハⅢを購入したバイクショップ(カワサキ専門店で、モトクロスの有名選手を数多く輩出した老舗ショップ「東希和(ときわ)モータース)から新発売されるZ2の試乗会の知らせが届いた。Z2は、Kawasaki初のDOHC4サイクル750cc4気筒である。

彼はZ2を買う気満々で川越街道を走り、ショップに向かった。「このバイクともお別れかな。最後の加速だ。」とアクセルを思いっきりひねったとたん、後からウ~ゥゥゥゥゥ~と白バイのサイレン。50㎞/hオーバーだった。

切符は切られたが、気を取り直してZ2の試乗会へ。ところが運の悪いことに、試乗していたZ2で再び50㎞/hオーバーで捕まってしまった。同じ日に二度も免停切符を切られたのである。

Z2はオーダー殺到で、Kawasakiの工場からの出荷が間に合わず中々納車日が決まらない。納車を待ちこがれる彼のもとにZ2より先に届いたのは、交通違反の出頭命令だった。その持ち物欄に「洗面用具」と記載されている意味をきかれたが、俺にもさっぱり分からない。だが、出頭するとすぐに明らかになった。二泊三日の刑務所行だったのだ。この時日本ではまだモータリゼーション始まりのころ。現在のような交通違反専門の交通刑務所は無い。交通違反者も一般受刑者と同じ刑務所行だった。

ビビリながらの入所した彼は、古参受刑者に挨拶をするのだが、こんな内容だったそうだ。

古参受刑者「おめぇ~何やらかしたんだ?」
新人受刑者A「へぇ・・・つい熱くなって刺してしまいやした。」
古参受刑者「長いお勤めになりそうだなぁ」

古参受刑者「おめぇは?」
新人受刑者B「はい、喧嘩で相手が大怪我してしまいまして・・・・」
古参受刑者「ほおう・・そうかい」

古参受刑者「お前さんは?」
俺の友達「はい、スピード違反です。」
古参受刑者「はあ?なんだそれ?」

しばらくしてZ2は納車された。残念なことに、そいつのピカピカの火の玉カラーのZ2は「出所祝い」と呼ばれる羽目になってしまった。

KawasakiマッハSS500Ⅲには別のエピソードがある。

もう一人、マッハⅢに乗っている友達がいた。

今どきのバイクのカタログには最高速は記載されていないが、昔のカタログには記載があり、バイクを買うと実際にその速度を試してみるのが常だった。自分の愛車がカタログ通りの性能を出しているかどうかを見極めたいのだ。マッハⅢ乗りが挑むのは200㎞/h。これが達成されないことには、納得がいかないのだ。今のスーパーバイクなら300km/hに挑戦するようなものだ。

彼は無謀にも一般道の新青梅街道で最高速達成に挑んだ。いくら当時出来立ての新青梅街道でも、200㎞/hを出すとなると信号を二つほど無視しなくては達成できない。命がけのロシアンルーレットである。

彼はめでたく200㎞/hを達成した。しかし、自分のバイクの性能を実証した嬉しさに酔いしれながら帰える途中、なんでもない浅い側溝に足を取られて大けがをした。

こんな思い出話も武勇伝のように思えるかもしれないが、実はひとつ間違えば悲話になっていたかもしれない。単に当時の若者がどんな感じでバイクに乗っていたかを書きたかっただけなので、みなさんはぜったい真似しないように願いたい。

関連記事

  1. Honda C110スポーツカブの思い出

  2. 宙を舞ったHonda DAX70 とラガーマン

  3. 「おっとびっくり」、切れてたカムチェーン

  4. ポップヨシムラ 2サイクルにイライラ

  5. HONDA CB160とバイク便の思い出

  6. サウジアラビアとオートバイの話