初めての運転免許証

今年は免許証の更新をする年だとわかっていたが、先日、なんと「高齢者2時間講習の案内」が届いた。免許証更新前までに講習を受けなくてはいけないようだ。自分がそんな年齢になったことに驚いた。

思えば初めての免許は16歳の時に取得した自動二輪免許証だった。中学生からバイクに乗ってはいたが、とりあえず免許証を取っておこうかなどと言う安易な気持ちではなく、何がなんでも免許証が欲しかった。 皆が期末試験の準備をしているということなどはおかまいなく、7月1日の誕生日に府中免許試験場に向かった。

俺は練馬区西大泉に住んでいた。試験場へ行くための交通事情は少々複雑で、何度も乗り継ぎが必要だった。大泉学園から関町駅までバスに乗り、関町から西武新宿線で田無駅へ行き、そこからバスで中央線の武蔵小金井駅まで行き、また試験場行きのバスに乗らなくてはいけなかった。今は高架になっているのだろうが、中央線の踏切が30~40分開かないことも頻繁にあったので朝早く家を出た。

16歳の誕生日を迎え、晴れて試験場に行ける事がよほど嬉しかったのだろう。五日市街道の玉川上水沿いの桜並木を走るバスの一番後ろの席に座り、生い茂る青い桜の葉っぱをながめながら、まだ受けてもいない試験にすでに受かった気分でウキウキしていた。

試験場も今のようにコンピューター管理で1日に何回も試験が行われるわけではない。朝8時30分までに書類を準備して受付を済ませた者だけが試験を受けることができた。筆記試験の合格発表がある夕方まで、何もない試験場内で退屈な時間を過ごさなくてはいけない。もちろんファミレスやコンビニも無い。筆記試験に合格すると翌日が実技の試験日だ。堂々と街中でバイクに乗れるには実技試験合格が決まってから14日後の交付日まで待たなくてならない。

16歳で取得できる最高の免許証は自動二輪免許だった。今の自動二輪免許とは違い、二輪車で試験を受けるが排気量限定は無く、軽自動車、オート三輪などにも乗れた。今では見かけなくなったオート三輪だが、その頃はいくつかのメーカーがあった。一番多く見かけたのはマツダのオート三輪だ。古い日活や東映の任侠映画でヤクザの殴り込みに組員が乗り込んでいくシーンによく出てくる車両だ。信じられないくらいの小回りが利く車両だが、乱暴にハンドルを切るとすぐに横転した。豆腐屋の友達がオート三輪を親父に内緒で持ち出して、雨上がりの川の淵で脱離させてしまったことがある。 荷台に満載していた何百個のコンニャクがブカブカと白子川の水門に浮く光景を鮮明に覚えている。この頃からオート三輪はあまり見かけなくなっていた。この何でも乗れる自動二輪免許は、俺が16歳になった年の8月31日で制度が変わり、四輪は乗れなくなった。9月以降生まれの同級生たちはとても悔しがっていた。

今の免許証はクレジットカードの様なカード型だが、俺たちが初めてもらった当時の免許証は仏教の経典のように紙製でパラパラと何ページかになっていた。そこに交通違反の履歴などが記載される。折角受け取った免許証も、ピカピカでいかにも初心者っぽい。ベテランライダーの免許証のように貫禄をつけようと、仲間同士で貰ったばかりの免許証を濡れ雑巾に包み、上から石でガンガン叩く作戦に出た。俺は慎重に手心を加えて叩いたのだが、友達は思いっきり気合を入れて叩き続けて洗面器の上に免許証の写真が浮いてきてからやっと我に返った。「ヤバい、どうしよう・・・・・・」どうすることもできない。

免許証を取った次の日、友達とツーリング中の事故で都心の病院に入院していた先輩の見舞いに行くことにした。中学生からバイクには乗っていたが、人里離れた山道ばかりで都内を走ることは初めてだった。一緒の友達も同じ日に免許証を取ったばかりである。友達が兄貴のバイクを借りてきた。マーチンという聞いたことのない名前だったので外車だと思って乗っていた。生意気にも「やっぱ外車はパワーがあってすごい」なんて昨日免許取ったばかりの高校生が話していたのだから笑ってしまう。ずいぶん経ってから「昭和のオートバイ年鑑」という雑誌をみてマーチンは国産バイクだったことを知った。

先輩が入院していたのは九段下病院といって靖国神社のすぐ横にある病院だ。途中、文京区の後楽園球場の近くだったと思うが、俺たちが信号で止まっていると拡声器で40~50メートルくらい先の交番で警官が怒鳴っていた。まさか俺たちじゃ無いだろうと思いながら、指で俺たちなのかと指すと「そうだ。こっちへ来い」とまた怒鳴っている。慌てて交番に行くと、一方通行逆走、信号無視だと言われた。例の貫禄をつけた免許証を見せると「なんだ、昨日取ったばかりじゃないか」とすぐにばれてしまった。警官は「交通違反の切符を切られて錦糸町の交通裁判所に行くか、ここで30分俺の講習を受けるか」と言った。二人とも「勿論ここで講習を受けます」と答えた。するとすぐに裏から交通標識の図がたくさんあるものを持って来て、講習が始まった。交通標識を指さして「これは何んだ」と質問された。俺と友達は違った答えを言う。両方とも間違っていたようで、警官は「本当に免許に受かったのか?」と呆れていた。そんな感じで30分の講習は終わり、間もなく病院へと向かうことができた。

免許証を取得したのだから堂々と地元の警官に免許証を見せてみたいものだと思った。今まで逃げ回って畑道ばかりを走っていたので警官に「おいこら、免許証を見せろ」と言われたら「どうだ」とばかり見せてみたかった。住んでいた大泉学園は今は交差点ごとに何百もの信号機が有るが、俺が免許を取った頃は駅から北側の三和銀行(今は東京三菱銀行)前の交差点だけに信号機があったと記憶している。その信号機の反対側が交番だった。その交番に警官が立っているとわざとエンストして気をひかせようとするのだが、いちども気がついてはくれなかった。

高校で仲良くなった友達がいた。33歳で急逝してしまったが、それまでは社会人になっても仲がよかった。高3になって受験勉強中だというのに、そいつは面白いはなしを俺に持ち掛けてきた。夏休み明けには普通免許を取得した同級生が自慢しあって免許証を見せ合うはずだ。普通の免許証を見せ合うのはつまらない。その上の自動車レース参加に必要なA級ライセンスを取得してやろうという提案だった。

その頃のレースにまつわる世の中の熱気を現在に伝えることは難しいのだが、当時の日産、トヨタ、ポルシェの日本グランプリでの戦いはスポーツ新聞は勿論、全国紙でも大きく取り上げられていたほどだ。そんな中、A級ライセンスを持っているということはパイロットの資格を持っているほどすごいものと思われていた。

ところが、取得は案外簡単であった。まずJAF主催のB級ライセンスの講習を受ければ参加者全てがB級ライセンスを取得できた。このB級ライセンス取得してJAF主催のジムカーナ競技に2回出場するとA級ライセンスがもらえた。俺たちは富士スピードウェイの駐車場で開催されたジムカーナに出場した。

その友達は世田谷区の等々力に住んでいた。近くを通る目黒通り沿いの城南いすゞでベレット1600GTを借りて富士スピードウェイに行った。彼の実家の家業は肉屋だ。今は見かけなくなったが、1日の売り上げを入れるレジは天井から吊り下げられているザル籠だった。彼の親が目を離しいたすきにその籠の中から千円札を何枚かつかみ取って、俺のジムカーナ参加料まで払ってくれた。勝つための出場ではなくA級ライセンスを取って仲間に自慢するのが出場の理由だったので順位は二の次だったが、それでも二人ともタイムは全体の真ん中より上位に入っていた。

夏休みが終わって新学期に入った。夏休みに普通免許証を取得したものは自慢気に仲間に見せびらかしている。自動車免許所の色は紺色だ。俺たちのA級ライセンスの色は純白だった。俺の友達は嫌味っぽく、「あれ、俺の免許証の色と違うぞ。俺のは白いぜ。北島、お前のを見せてみろよ。やっぱ白いな。あ、ごめん、ゴメン、俺たちのは免許証じゃなくてA級ライセンスだった。は、は、は!」これが言いたくて取ったA級ライセンスだった。

そんな免許もバイクのロードレースに出場するようになり、俺はバイクにすべてをつぎ込んでしまって初めての免許証更新の600~700円の更新手数料さえ無くなり失効させてしまった。二輪免許はすぐに府中で取り直したが、四輪免許証は三重県鈴鹿市の修行中になってやっととり直した。三重県は県庁所在地の津に自動車試験場がある。しかし東京とは違い決められた日だけに試験をうけることができた。大きな大学の講堂のような建物で合格発表があったような記憶がある。大きな教室で試験官が手元にあるファイルから不合格者を読み上げる。落とされた者はスゴスゴと渡された書類を持って教室前のドアから退室しなければならない。

ファイルの山がが徐々に少なくなっていく。あのファイルがなくなって自分が呼ばれていなければ合格だ。最後のファイルから名前が読み上げられる。その瞬間呼ばれなかったみんなは万歳万歳と大興奮。教室中に安堵の笑顔が広がった。しかし、教官が机の下から同じ位のファイルの束をドンと置くなり会場中が「エーッ」「何だまだあったの」と凍り付いた。さっき万歳三唱をしたばかりのやつも不合格者として呼ばれた。「チェ、受かるわけねぇと思っていたんだよなぁ~」と捨て台詞を吐いてそいつは前のドアから出て行った。俺は笑うのをこらえるのに必死だった。

あれから半世紀近くが過ぎたが、俺は幸い無事故で過ごせてこれた。これからもしばらくは高齢者講習を受けながらでも運転はしていくだろう。電気自動車と自動運転の未来はけっして遠くはない。でも、バイクや車がいつまでもドキドキ胸をときめかせながら免許を取りに行くような乗り物であり続けてほしいと思う。

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