ポップヨシムラ 2サイクルにイライラ

1970年代前半の頃、国内唯一のエンジンチューニングショップであったヨシムラがアメリカに渡った。それまでポップのチーフスタッフであった森脇氏は妻と日本に残り、鈴鹿でモリワキエンジニアリングを立ち上げた。このあたりの話は、ご存知の方も多いだろう。俺は自分でRSC(レーシングサービスセンターコーポレーション-現在のHRCの前身)から部品を調達して独学の技術で改造したCB350でノービスクラスを戦っていた。ジュニアクラス(多分今で言う国際B級)のレースに昇級した時、それまでの自己流チューンでは限界を感じ、エンジンをポップにチューニングしてもらうために福生市にあったヨシムラコンペティションモータースの工場に出入りしていた。2~3年通ったあげく、そこで知り合った森脇氏の下で見習いとして働きはじめていたのだが、成り行きではあったがモリワキ設立時の唯一のスタッフとしてメカニックの道を歩き始めた。

森脇社長の奥さんは吉村家の長女なのでお昼時間などにポップの九州時代の話を聞かせてくれた。レースの世界で名の知れた存在だったポップだが、弱点は歯が弱い事だった。昔は白米の中にも小さな小石がよく混ざっていた。吉村家では家族総出で洗米する前に新聞紙の上にお米を並べて小石を見つけて取り除く作業に時間をかけるのが常だった。しかし、それだけ手をかけてもポップが小石をガリっと噛んでしまうことがあったそうだ。するとポップは激怒してちゃぶ台をひっくり返し、それでも気が済まずに冷蔵庫めがけて空中飛び膝蹴りを見舞ったと聞いて皆で大笑いしたこともあった。

ポップの帰国は思ったよりずっと早かった。まだ20代そこそこだった俺にも、ちょっと元気が無いように見えた。再渡米を目指すと誓ったポップは、モリワキエンジニアリングで再起を目指すことになったのだが、俺に取ってはポップと一緒に働く貴重な時間となったと思う。(ポップと一緒に鈴鹿で仕事をしていたいきさつは、以前に書いたブログの[サウジアラビアとオートバイ]の中にある。)今回はその頃のエピソードの一つを書くことにした。

ある日、工場にはポップと俺だけが仕事をしていた。するとギャンギャンギャンと2サイクルの排気音が聞こえてきた。駐車場には「アンチャン風」の若者たちが乗る5台のカワサキA1(250cc)とA7(350cc)が騒々しく現れた。(中型免許の制度に合わせるようにA1とA7はKH250/400の3気筒エンジンへと進化した。)

そいつらの一人がこう叫んだ。

客「さぁせ~ん!A1をパワーアップするんでぇアマカム着けたいんやけどぉ~」

俺「アマカム?何それ」

そいつが言うアマカムというのは初めて聞く言葉だった。いったい何のことかと随分話していくと、どうも「アマチア・カム」の事らしい。アマチアカムとは、ヨシムラがホンダCB750KとカワサキZ2及びZ1用に作っていたカムシャフトの一つだ。レース車両用に作っていたのがスペシャルカム(こいつらいわくスぺカム)であり、街乗り用に作られたのがアマチアカム(こいつらの言うアマカム)である。元々2サイクル車両にはカムシャフトが無いのに、4サイクルに必要なカムシャフトを付けたいというのだから、とんでもないメカ音痴なのだ。そんな訳の分からない相談を俺はカムシャフトを削っているポップに伝えるのに駐車場との間を何往復もした。

この時期(1970年代の中頃だったろう)のバイクレースのレギュレーションでは、2サイクルと4サイクルが同じ土俵で戦っていた。レースエンジンは圧倒的に2サイクルが強く、ポップの力をもってしても4サイクルエンジンは2サイクルエンジンに太刀打ち出来なかった時代だ。そんなことも関係して、ポップは2サイクルエンジンが大嫌いで、筒鉄砲(ツツデッポウ)と呼んでバカにしていた。筒鉄砲とは昔子供たちが遊んだ水鉄砲の事だ。竹の筒がシリンダーで、棒に布を巻いたものがピストンだ。竹筒の先に小さな穴をあけてそこから水を飛ばす水鉄砲のことだ。

そんな2サイクル嫌いのポップの元へ筒鉄砲軍団が押し寄せたのだから気分の良いはずは無い。そこに輪をかけて2サイクルにヨシムラ製カムシャフトを付けてほしいと訳の分からないことを言われているのだ。今の俺ならば軽くあしらうようなことだが、当時青二才の俺はその訳の分からないことを逐次ポップへ伝えた。

幾度も入る駐車場からの俺の伝言にポップがイライラしているのは分かっていた。そしてとうとうポップは駐車場に飛び出していった。ついにあの白米の中の石を噛んだ時に飛び出す例の「空中飛び膝蹴り」かと思った時、軍団に向かってポップが怒鳴った。「パワーアップ考える前に、その錆びたチェーンを何とかせぇ!」その剣幕に恐れおののいたアンチャン達はスゴスゴと、しかしギャンギャンとモクモク煙を吐きながら退散した。

この事件があってから暫く経って、ポップは再渡米してリベンジを成し遂げる。使用出来なくなった商標のヨシムラコンペテションは名乗れず、ポップヨシムラで成功を手に入れる。

今や姿を消しつつある2サイクルエンジンだが、そのまさに全盛期の頃の出来事を懐かしく思い出した。

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