サウジアラビアとオートバイの話

サウジアラビアのサルマン国王が来日した。1,000人を超える王族や企業幹部を従え、東京の高級ホテルやハイヤーが予約でいっぱいになってしまったそうだ。この豪勢な大名旅行を連想するニュースを見て、すっかり忘れてしまっていた昔の出来事を思い出した。

1970年代前半のことである。当時は、ヤマハのコンプリートレーサー(2サイクル)全盛時代。同じクラスで戦う4サイクル市販車は、あのポップヨシムラの手によっても全く歯が立たなかった。ヨシムラCB350でヤマハTR3と走ったことがあるが、ひとクラス違うような性能差で勝負にならなかった。ロードレーサーはほぼ全て2ストだった時代だ。


ホンダ CB350


ヤマハ TR3

その頃すでに日本では、ホンダCB750KやカワサキZ2などのビッグ4サイクルが販売されていたが、このクラスのレースはまだなかった。一方、ヨーロッパやアメリカでは750cc~1,000ccクラスのレースに人気が出始めていた。ヨシムラの仕事も国内から海外のオーダーに移っていた。そのため、国内唯一の4サイクルチューニングショップだったヨシムラも、遂に日本を諦めてアメリカで勝負すると宣言。工具、設備、スタッフ数人を引き連れて渡米した。

ここでポップにとって一番の右腕と期待していた森脇夫妻が、「あの共同経営者のアメリカ人が信用できない」と渡米に反対。ここがヨシムラとモリワキの分かれ道となった。レーシングメカニックを続けたかった俺は、森脇夫妻と従業員一人(俺)の新生モリワキで修業の道を目指すことになった。

オープン当時のモリワキの仕事の大半は四輪のエンジン関連で、二輪の仕事はほとんどなかった。この頃の国内四輪レースでは、グラチャンと呼ばれるCカーを頂点に、フォーミュラカーに日産サニー、トヨタ カローラ、ホンダ シビックのエンジンを積んだFJ1300レースに人気があった。その下には入門クラスとしてFL500というのがあり、500ccにボアアップしたホンダN360やスズキフロンテ360のエンジンを小さなフォーミュラカーに載せて戦うレースはサーキットに多くの観客を集めていた。モリワキでも、グラチャンはBMW2000、FJ1300は「無限モリワキ」としてCIVIC、FL500のN500、などのエンジンメンテナンスをしていた。モリワキにとって、まだサーキットなどで脚光をあびる前の雌伏の時代である。

心配したとおり、ヨシムラが帰国した。日本に帰ってきたポップヨシムラはモリワキの工場の片隅で、ひとりで黙々とカム研磨機と向き合っていた。思うようにいかない苛立ちや、屈従の時間が流れる工場に、ある日、ビッグニュースが飛び込んできた。

それは、サウジアラビアで原油を送るパイプラインを通す大規模な事業が始まり、
広い砂漠の連絡用にHONDAから出たばかりのオフロード車両SL250の採用が決まったというニュースだった。ヨシムラのチューニングパーツを取り扱っていたイギリスのショップが、この事業からの商機をねらって「熱い砂漠ではノーマル車両では使い物にならない。日本のヨシムラと言うメーカーのパワーアップキットを取り付ける事が必須である」とサウジアラビアに提案し、これがすんなり通ってしまったのである。

1,000台のSL250のエンジンを開け、ピストンやカムシャフトを交換し、パワーアップさせるという仕事が舞い込んできた。ホンダ技研の社員から車両を借り、すべてのヘッドボルトをエアレンチで一挙に外せる治具を考案したり、どんな治具を作れば作業が早くなるかなんてみんなでウキウキとアイデアを出し合った。

ポップはもう一度アメリカでリベンジする野望に燃え、森脇氏は商売を飛躍させる希望をいだき、俺はロードレースにカンバックできるかもしれないという夢をみる。皆の夢が一気に花開くようなビッグニュースだった。

しかし、この夢がとんでもない事件であっけなく崩れ去ってしまうことになる。

それは世界的な大事件だった。サウジアラビアのファイサル国王がクウエートの代表団と会談中に甥の王子がピストルで国王を殺害してしまったのだ。

この事件のおかげで、1,000台のSL250パワーアップ計画は終わった。

これは海外でのビッグバイクレースのブームが起こる直前のできごと。4サイクルチューニングショップにとって、まさに夜明け前の一番暗くて寒い時だったと思う。

やがて夜は明け、8時間耐久レース、AMAのビッグバイクレース、世界耐久レースでのヨシムラ、モリワキでの活躍はバイクファンを熱狂させることになる。そして、俺は東京に帰りバイクショップ「イオギオート」をオープンした。1977年の夏のこと。

サウジアラビアの王様来日のニュースは、忘れていた昔の修業時代を思い出させた。

関連記事

  1. ロードレース笑い話

  2. 愉快な鈴鹿の仲間たち

  3. SSバイクについて考えた事

  4. 山口オートペットスポーツでモトクロス

  5. KawasakiマッハⅢとZ2にまつわる思い出

  6. 三億円強奪事件とカワサキA1SS