山口オートペットスポーツでモトクロス


写真の左端は15歳の俺。当時でも珍しかったパイプフレームの山口オートペットスポーツ乗っている。

俺の隣4台はHondaスポーツカブC115と右端1台がSuzukiセルペットM12である。当時は、50ccクラス モトクロスに人気があり、参加台数も多かった。

     

Suzuki M12が最強だったが、二輪事業から撤退していたトーハツランペットCA2がライバルとして奮闘していた。Honda車での参加も多かったが、上位入賞者にHondaから無償で貸し出される八段変速の市販レーサーCR110(ハンドルとマフラーを変えてモトクロス仕様にしたもの)がお目当てだったようだ。

俺も先輩たちが乗っている人気車に乗ってみたかったのだが、中学生の予算では誰も見向きもしなかったオートペットスポーツしか手に入れる事が出来なかった。それなのに、今ではこの山口オートペットスポーツが希少車中の希少車になっていて、かなりの値がつくそうである。

写真撮影したモトクロス場は、今は和光市の理化学研究所として国の研究機関となっている。ちょうど研究所の基礎工事が始まったばかりの頃で東京オリンピックの年に撮られた写真だ。後ろの白い建物は、Honda技研和光研究所である。その前の道は、国道254号(川越街道)だ。日曜日の昼過ぎなのに、当時はほとんど交通量がなくガラガラだった。

写真を撮るためにヘルメットを脱いだ訳ではなく、走っている時と同じ格好だ。ノーグローブ、ノーヘルに運動靴。昼も食べずに、朝から晩まで乗り続け、暗くなるまで練習して自宅までバイクを押して帰った。

俺は当時、練馬区西大泉に住んでいて、この場所までは10㎞位はあったはずだ。擦り傷や打撲で足を引きづりながらバイクを押して帰り、次の日は朝早くから新聞配達のアルバイト。放課後は野球部の練習。それが終わると女子たちと一緒に学校帰りに暗くなるまで盛り上がっていた。本当に呆れるほど元気だったと、いまさら感心する。

この時期、日本は戦後の復興の時代を乗り越え、やっと「遊び」の時代へ一歩踏み出したように思う。バイクに限らず、車、音楽やダンス、ファションなど、若者の文化が一気に爆発したような時代だった。その中で、この写真に写っているみんなが、3馬力ほどの非力なバイクに夢中になりながら、明日は世界に飛び出す気持ちでいたような気がする。

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