Honda C110スポーツカブの思い出

初めて自分でバイクを買ったのは中学二年14歳の時だった。バイクの後ろに彼女を乗せて多摩川の土手を走りたいと思ったくらいの軽い気持ちからだった。たぶん当時流行の青春ドラマに感化されたのだと思う。もちろんこの時、生涯をバイクの世界で過ごすとは思いもしなかった。

大泉学園から谷原に向かう途中にあった車の修理屋さんの脇に、50ccのバイクが立てかけられていた。そのバイクが気になって、一日おきには見に通った。夜になっても店舗にしまわれることもなく、外に置きっぱなしになっていた。とうとうある日、勇気を出して車屋さんにそのバイクの事を聞いた。

俺「あのバイク売り物ですか?」
修理屋「あれ動かないよ」
俺「動かなくてもいいのですが、あのままだと幾らで譲ってくれますか?」
修理屋「本当に動かないよ。返品しないと約束してくれるなら3,000円でいいよ」
こんなあんばいで商談は成立した。当時の中学生のお小遣いが月1,000円~2,000円位。3,000円が高いのか安いのかは分からないが、自分で用意できる金額だったので飛び上がって喜んだ。

そのバイクはホンダC110、通称スポーツカブだ。世界的に大ヒットしたスーパーカブを発売してから2~3年後にホンダがスポーツタイプとして作ったカブで、クラッチ付きの3速ミッションの初期型だった。発売後すぐに4速ミッションになり、このタイプは人気があって良くに知られている。俺が手に入れたC110は4速ミッションが出るまでのごく短期間だけ販売された車両である。ブルーの車体色に肌色のタンク、左右にニーグリップラバーがついていた。

プラグの位置さえも分からない中学生が、動かないバイクを買おうと決断するのは無謀だと思われるだろうが、頼りにしていた同級生がいた。「バイクの事なら何でも知っている」というので純粋に信用していた。しかし結局、友だちの知識はバイク雑誌を斜め読みしたくらいか、誰かの整備を横で見ていた程度だったことが買ってすぐに判明することになる。

修理屋さんからC110を押して帰る途中、キルキルと後輪付近から異音がしてきた。タイヤのハブ付近から黒いゴムのようなものが捩じれて出てきていた。チョット整備の知識があれば、まったくなんてことない症状だ。エンジンの動力をフロントスプロケットからドライブチェーンを通してリヤスプロケットに伝えてタイヤは回る。いきなりスプロケットに動力を伝えるとガクンとショックを与えてしまうので、クッションの役割をするラバーがリヤホイール内に付いている。(上図「2」の部品)このリヤホイルダンパーラバーが飛び出してきただけだ。原因はリヤのアクスルシャフトをしっかり締めていなかっただけなのだが、当時の知識では何が起こっているのか分かるわけもない。なにか深刻な問題なのではと焦ってしまった。

不安な気持ちのまま、頼りにしていた友だちの家までC110を押していった。友だちは、ダンプラバーのことすら分っていない。とりあえずエンジンがかからないので、そちらから調べていくと言う。C110のエンジンは、今では珍しいOHVという機構だ。OHCやDOHC機構のようにチェーンやギヤでバルブの開閉を行うのではなく、プッシュロッドという鉄の棒でバルブを開閉させる。ヘッドカバーを開けてプッシュロッド2本を抜き取ってみた。そこへ整備を見ていた野次馬が「ここを開けたら最後だ、大気中に飛んでいる微生物がエンジン内に入ってしまった。」「このエンジンは使い物にならない。」と無責任に言うのである。知ったかぶりの友だちは、家に入ってしまったまま出てこない。

途方に暮れ、絶望の中自宅へC110を持って帰った。何とか直そうとバイクの知識がある人をあちこち尋ねまくった。時間はかかったが同級生の紹介で、二学年上の先輩を紹介してもらった。結局直すことは出来なかったが、この先輩にはバイクの乗り方から教えてもらい、仲間にも入れてもらった。モトクロスにも連れてってもらって、レースに夢中になった。高校進学の時も、「バイク通学できるし校章もカッコいいから俺の高校へ来い」と誘ってくれた。

この不動で終わったC110は、先輩との出会いを作り、俺をバイクの世界に引きずり込んでいった1台となった。このバイクと先輩のおかげで、半世紀もバイクと関わっている。

関連記事

PAGE TOP