トーハツ ランペットとカワサキ赤タンク 90-G1M

初めて買ったモトクロッサーの話を書こうと思う。古いカタログを山と持っている仲間がいるので、資料を見せてもらいに行った。親子二代続くバイクショップで、MFJが創設されてから今日までの長い間、初めは選手として、今はサポート隊として休まずに全日本モトクロス選手権に参加している。半世紀も続けているのには頭が下がる。

カワサキ赤タンクシリーズの85cc(90-G1M)、125cc、250ccのカタログを見せてもらいに行ったのだが、他にもたくさん面白いカタログを見せてもらった。HRCから販売されたWGPマシンの97NSR500Vのカタログもそのひとつ。レーサーにカタログがあるのにも驚いたが、価格欄にメーカー希望小売価格9,200,000円(セットアップキット含む)とまで記載されている。他にメグロのカタログなども出てきた。古いカタログを見ていると忘れていた思い出が呼び起されるが、これについては追々ブログに書こうと思う。

さて本題にもどろう。初めて市販モトクロッサーを買ったのは16歳の時。免許を取ったばかりの高校生がやっと買ったのは、かなりくたびれた中古のカワサキ90-G1Mだった。フロントフェンダーがすっ飛んで無くなっていたことを覚えている。今なら各メーカーから競技車両がいくつも出ていることは驚くことでもないのだが、当時競技でしか乗れないバイクを販売することはまだめずらしいことだった。事実、国内で競技車両を販売しているメーカーはカワサキだけ。スズキは、ファクトリーマシンとして海外で戦っていただけだ。ホンダは当時2サイクルは生産していなかったため、当然モトクロスには参戦していなかった。

俺は練馬区の西大泉と言うところに住んでいた。90-G1Mの売り主は、隣町の保谷に住んでいる建築職人さんだった。隣町と言っても、その頃は東京都練馬区から北多摩郡保谷町に入ったとたん舗装道路から未舗装のガタガタ道に変わる。

カワサキ90-G1Mをいくらで買ったかは忘れてしまったが、友達と保谷まで車両を受け取りに行ったことは覚えている。友達はトーハツランペットCA2の新車に乗っていた。この頃すでにトーハツ社はオートバイ事業から撤退していたが、杉並区のショップがまだ新車在庫を取り扱っていた。ランペットは、ロードレースでもモトクロスレースでも連戦連勝。当時珍しい綺麗なブルーのパイプフレームで、おまけに6.7馬力もある魅力的なバイクだった。経営事情など分かるような歳でもなかったので、トーハツがオートバイ事業から撤退したことが残念で仕方なかった。トーハツは今でも船外機のエンジンや、消防用ポンプなどでは広く知れ渡っている。

車両代を渡して領収書をもらい、いそいそと小雨降る中、バイクを押して帰路についた。途中畑の中の道でエンジンをかけてみた。調子よくギュンギュン回った。公道を走れない車両と分かっていても乗りたくなる衝動を抑えきれない。モトクロッサーの競技車両だから灯火類、消音器などは付いていない。でも、どうしても乗って帰りたい。新聞や牛乳の配達でアルバイト代を貯め、小学生の時から集めていた記念切手類も売り払い、俺の全財産を叩いて手に入れたモトクロッサーだったから、到底我慢できなかった。

そこで作戦を立てた。2~300m先の交差点まで友達がランペットで偵察に行く。警察官がいなければ左手を上げる。左手があがったら俺がそこまで90-G1Mを走らせる。これを繰り返すのだ。

こんなふうに4~5㎞走っただろうか。次の交差点で合図するはずの友達が慌ててU-ターンして俺が待機している方に戻ってきた。その後ろからサイレンを鳴らし、赤灯をクルクルさせながらパトカーが追跡している。パトカーを見たとたんのUターンが怪しまれたようだ。無免許か盗難車と疑われたらしい。90-G1Mをまたいでいる俺の横を「どうしよう」と情けない目で俺を見ながら友達が通り過ぎる。そのすぐ後ろをパトカーも通り過ぎる。

友達は、先の赤信号で律儀に停車したところでつかまった。職務質問中、何やら俺の方を指さしているのが見える。しばらくして、パトカーは俺の横に来た。ずぶ濡れの領収書を警察官に見せ、「領収書もこの通り、盗んだ車両ではありません」「絶対に乗ってません」と必死で弁解する俺に、ニヤニヤしながら警察官が言った。「君なあ、嘘をつくなら鏡を見てからにしろ!」ランペットのバックミラーで自分の顔を見て驚いた。目以外は顔中泥だらけだったのだ。観念して謝った。「家まで絶対に乗るなよ」と許してもらったのは、雨のガタガタ道をフロントフェンダーの無いバイクで泥んこになって走っていた高校生にかけてくれたお情けだったのかもしれない。

今は日常茶飯事となったパトカーや救急車のサイレンだが、このころはパトカーのサイレンを聞くなど珍しい事であった。警察官の権威も、「オイこら」と呼び止められて逃げるなどは日本人の気質にはなかった。ましてパトカーのサイレンを無視して逃げ回るなどは、極悪非道の行動だったのである。そんな時代だから、俺たちの職務質問を大勢のやじうまが見物していた。ちょっとしたヒーロー気分だった。

90-G1Mには、練習に行ったり、レースに出場した記憶はない。壊れた車両を安く買ったので、真面に走れなかったのかもしれない。このバイクにまつわる思い出は、なぜかこの大捕り物帳だけである。偶然に出会ったバイクで、当時は伝説のカワサキ赤タンクシリーズなんていう価値は頭には無かったのだが、今ではモトクロスレーサーの歴史上貴重なオートバイを持っていたんだなぁと思う。

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