環八沿いの俺の店、エスエフブーン、のすぐ横にトヨタの販売店がある。しばらく大規模な店舗改装で工事中だった。その横にある郵便ポストをよく利用する。今日も郵便物を投函しに歩いていると、新装開店前のトヨタが何やら騒がしい。寄ってみるとそこには赤いスポーツカーが一台、なんとそれはTOYOTA 2000GTだった。
スタッフの許可をもらって写真を何枚か取らせてもらった。新装開店の目玉商品として開店に合わせてトヨタ本社から借りたものだそうだ。懐かしいメロディーから蘇る思い出のように、その2000GTは忘れていた高校生時代の思い出を呼び起こした。
TOYOTA 2000GTが発売された時代は、俺の青春時代でもあり、日本全体が活気に満ちていた時期だった。高度成長期が始まって、東京オリンピック開催、東海道新幹線開通、名神、東名高速道路開通などなど。一般人も車を所有できるようになりモータリゼーションが始まった。ビートルズをはじめ、エレキギターブームを日本に巻き起こしたベンチャーズなどの来日がバンドブームなどの文化を創った。当時流行った「ゴーゴー喫茶」で若者が踊り、アイビールックのVANやトラディショナルのJUNなど、若者のファッションが街にあふれだした時代だ。銀座にVANのロゴの入った紙袋を抱えて遊びに行くのが流行りだった。
山手線の有楽町駅で降りると数寄屋橋に出来たばかりのソニービルがあり、そこにTOYOTA 2000GTが飾られていた。人気のあった007シリーズの「007は二度死ぬ」でジェームスボンド(ショーン・コネリー)が日本で活躍するストーリーに登場するボンドカーだ。
そのソニービルのすぐ裏には、よく仲間と集まった喫茶店があった。たしか「ランブル」という名前だったと思う。先に来た友達は二階に上がったのに、俺は間違えて三階に上がってしまった。三階は「同伴喫茶」と呼ばれるゾーンで、うす暗さに目が慣れてくると、そこでは何組もの男女が抱き合っていた。昼間の銀座の真ん中で大人の男女がこんなことをしているのに、高校生の俺はとても驚いた。
大人になってから、自分が憧れていた車を何台か手にすることが出来た。HONDA S800、FIAT 500チンクエチェント、空冷最後のPorsche 911などだが、さすがにTOYOTA 2000GTを手に入れることはできなかった。なにしろ国内で販売されたのはわずかに200台なのだから。
今日、久しぶりにTOYOTA 2000GTを目の前にして、世界の先進国のレベルに追いつけ追い越せと夢中になっている頃の日本の工業製品は素晴らしいと感じた。当時の物造りへのパッションが感じられるのだ。その少し前、HONDAの創始者本田宗一郎は四輪製造の許可が中々下りず、通産省に直談判に乗り込んだ。「アメリカのビッグスリーがあるのに、今更日本のバイクメーカーが四輪業界に入って何が出来るんですか?」と言う役人を相手に、本田氏は赤いアロハシャツを着て「いつまでもアメリカに負けっぱなしでいいのか」と食い下がったそうだ。今やそのビッグスリーに肩を並べる四輪メーカーになった。そんな世界一になろうという日本人の熱いものが、このトヨタの赤いスポーツカーからにじみ出ているような気がしてならなかった。